空手のこと
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直 心

 直心私の空手道の師である川元規久先生の座右の銘であり、私も人生訓としている言葉です。

 もともとは大乗仏教の維摩経からきている言葉とのことですが、辞書をひもとくと菩提を願う真実の心 至誠心、表裏のない正直な心等とでています。

 ところで、現在の社会で善いことは善い、悪いことは悪いというきわめて簡単に思えることを貫くには相当勇気がいるのではないかと思います。どうかなと内心思いながらも流されてしまうということが結構あるのではないでしょうか。

 川元先生は、直心をいわれる時、「闘の精神」「律の精神」「和の精神」を説かれます。

 自己或いは強い相手と闘う心、己を律する心、和をもって接する心、いずれが欠けても直心は貫けないということです。            

(聲 198912月号より抜粋)

私自身、まだまだ未熟だと思うことがしょっちゅうです。空手を続けてきて本当に良かったと思っています。

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壁 観

 

 空手鍛練には技法鍛錬と心法域の鍛錬があると指導を受けてきました。難しくて感覚を掴めずにいるのが壁観です。

 

鳥瞰図は、鳥の目で高い所から見下ろしたように描いた風景図ですが、壁観は、壁に自分の目をつけて自分を観るという鍛練です。イメージトレーニングということでしょうか。

 

型を鍛える時、自分の目を壁につけ一つ一つの形を観て完成度の高いものにしていく、大会の時、座っている自分の姿を観るというように、自分で解釈したイメージで取り組んでいますが思うようにできません。

身につけるには長い年月がかかるように思います。

 

この鍛練は、自分自身を客観的にみるのにも役立つのではないかと思います。

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痛みを知る

 

一般的に言えば、空手は一撃で相手を倒すことができるように鍛錬します。高いレベルでは〝相抜け〟の境地ということになりますが、まだ理解できることではありません。 

 

空手の稽古中、そう多くはありませんが突き蹴りがはいることがあります。知らないうちに打撲であざになっていることもあります。

 

蹴られれば痛いのは当然ですが、蹴られることによって蹴った時に相手の痛さがわかるようになります。このような肉体的な痛みと同様に、相手の心の痛みを知るということは大変大事なことです。技術的な鍛練と同時に、〝痛みを知る〟ことの教えを受けました。

 

痛みを知るということは、相手の気持ち、立場にたって考えることができるようになる…ということにつながっていきます。